8/23は『コイケヤポテトチップスの日』

本日の一品
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8/23は『コイケヤポテトチップスの日』

2012年に発売50周年を迎えたのを記念して湖池屋が制定しました。

日付は1962年(昭和37年)8月23日に『コイケヤポテトチップスのり塩』を発売したことから。

本日は、おやつの定番ポテトチップスがテーマです。湖池屋といえば、日本のポテトチップス業界トップシェア2社の内の一社ですね。ポテトチップスといえば定番の薄塩・のり塩・コンソメを始めとして、最近では変わり種の味も豊富ですね。今回はそんなポテトチップスに焦点を当て、記事をお届けします。

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ポテトチップスの歴史

ポテトチップスといえば、アメリカ発祥のお菓子のイメージが強いでしょうか。その発祥に関しては、とあるレストランの料理長がお客さんをからかう目的で作ったものが意外にも好評立ったとかの逸話は有名ですね。その逸話自体も日本らしくないというかアメリカらしくありますが、この項ではポテトチップスの歴史に関して、より詳しく見ていきましょう。

実は偶然できた?ポテトチップス誕生の誕生秘話

ポテトチップス誕生秘話として語られることが多いのが「レストランを訪れた客のクレームに対応するためにシェフが考案した」というエピソードではないでしょうか。歴史・食品雑学系のTV番組などでも紹介されており、時には再現VTRが放送されていることもあります。細かい部分が異なるバリエーションが多いので、概要をざっと紹介します。

舞台はアメリカ、サラトガ・スプリングズ(ニューヨーク州)にある“Moon’s Lake House”というレストラン。そこで雇われたアメリカ先住民族の血をひくジョージ・クラム(George Crum)氏は店で様々な料理を考案し、彼本人のシェフとしての評価を高めるとともに“Moon’s Lake House”も有名店・高級店へと格上げされていきました。有名なお店となった“Moon’s Lake House”とクラム氏の元には富裕層の客もつきます。

1853年のある日(8月24日とも)、お店を訪れた富豪が「注文したフライドポテトが厚すぎる」とクレームを言います。“Moon’s Lake House”で提供していたフライドポテトは厚切りのフレンチスタイルでしたが、彼は太すぎると言うのです。そこでクラムは細くカットしたフライドポテトを作り直して出し直しますが、こちらもお気に召さずに突っ返されてしまいます。イラっとしたのか純粋な研究心からか、そこまで言うならとクラムはジャガイモをフォークで指すことも困難な厚さにスライス。それを油でカリッカリに揚げて、塩をまぶして客の前に出しました。

食べたお客さんは大層その薄切りのジャガイモを揚げた料理を気に入り絶賛。クラム氏が作った新しいスタイルのフライドポテトは“Saratoga Chips(サラトガ・チップス)”という商品名でお店のメニュー入りを果たしました。富裕層が通う有名店の新メニューはすぐに話題になり、簡単な料理だったこともあってすぐに各地に広まり普及していきました。このサラトガ・チップスが元祖ポテトチップスと考えられています。

ちょっとした悪戯から生まれたというあたり、アメリカらしさがありますねw

有名な誕生秘話はキャンペーンの為のデマ説?

上記でご紹介したジョージ・クラムがクレーム客のためにポテトチップスを考案したというエピソード、通称サラトガスプリングスの伝説がポテトチップ発祥としては最もポピュラーで有力説と目されています。しかし事実であると断定されたものではなく、後世に作られた伝説である指摘する方もいらっしゃいます。

クラム氏発明説に否定的な方は様々な点を指摘していますが、メインといえるのは「ムーンレイクハウスやクラム氏について書かれた新聞記事に彼がポテトチップを発明したという言及がない」という点。シェフとして有名になったクラム氏は1860年に自身のレストランを開いていますが、1891年にこのクラム氏のレストラン“Crum’s House”について取材した新聞New York Tribuneの記事にもポテトチップスやそれっぽいことは何も書かれておらず、ジョージ・クラムがポテトチップス(サラトガチップス)の発明者として紹介されるのは彼の死後、1920年代頃からのようです。

また、ジョージ・クラムには“ケイト・ウィックス”という妹がおり、1924年に彼女が亡くなった時の死亡記事には“彼女は最初に有名なサラトガチップを発明した”と紹介されています。後の子孫インタビュー記事ではケイトがペイストリーをあげている間に横でジャガイモの皮むきをしていたところ、芋の断片(スライス)を油の中に落ちてしまった。油から救い上げたものをクラムが食べ、売り物になる味だと評価して10セントで売り始めた……とポテトチップスの発明者は兄ジョージではなく妹クラムであると書かれたものもあります。

だというのに現在ジョージ・クラムがポテトチップスの父として有力視されているのは、1970年代後半にスナック食品協会(The Snack Food Association)が打ち出した広告・キャッチコピーの影響が強いのではないかという指摘もあります。その内容は

The chef, to spite Vanderbilt, sliced his potatoes very thin, fried them to a crisp and salted them heavily. Vanderbilt loved them and the potato chip was born.

引用元:The Truth About the Origin of the Potato Chip

というもの。ジョージ・クラムが“The chef”とモブ扱いされており、クレーム客=Vanderbilt(ヴァンダービルト)の名前が前面に出ていますね。これはスナック食品協会がヴァンダービルトの子孫と提携して打ち出したキャンペーンだったためなのだそう。ちなみに登場するヴァンダービルト氏は、海運業と鉄道業で財を成した大富豪コーネリアス・ヴァンダービルト。シェフの名前よりも「有名人が発明に関わり、絶賛した」というインパクトをとった印象があります。

ヴァンダービルトが本当にポテトチップスを作らせたクレーム客なのかは誰も分かりませんが、シェフの名前は調べればジョージ・クラムであるらしいと分かります。そこで有名店ムーンレイクハウスの逸話とスナック食品協会の広告がくっついて、現在最もオーソドックスとなっている“ポテトチップス誕生秘話”として広まった可能性もありそうですね。

クラム氏の逸話にある1853年以前にもポテトチップスはあった?

ジョージ・クラム氏がポテトチップズの真の発明者ではないという主張の根拠として、1853年以前に発刊されたレシピ本にもポテトチップスと思われる記述が見られることも挙げられています。古いものではイギリスの料理人William Kitchinerが1822年に発行した『The Cook’s Oracle; and Housekeeper’s Manual』にも“Potato Fried in Slices or Shavings.”という、ジャガイモのスライスもしくは削りかすを揚げるというようなレシピが登場しています。

遅くとも18世紀後半にはフライドポテトが作られていたことを考えれば、ジャガイモの端切れや削りかすを揚げてしまおうという方がいてもおかしくは無いかな、と。シェフがやったように紙のように薄く、は無理だったかもしれませんが、ポテトチップスに近いものはもっと古くから食べられていた可能性も否定できませんね。発明者で無かったとしてもジョージ・クラム氏はポテトチップスの普及に一役も二役も買っている方だと思いますけどね。

成形ポテトチップスはプリングルズが初

人気料理人ジョージ・クラムが提供したことから人気に火が付いたとされる“Saratoga Chips(サラトガ・チップス)”は広まり、ほかのレストランでも真似た料理が提供されるようになっていきます。クラムは特許を取得していなかったこともあり、短期間にアメリカ全土で食べられる付け合わせ/前菜として普及したようです。

料理法自体は難しいものではありませんが、ポテトチップスは薄く均一にジャガイモをスライスする必要がある=包丁技術と手間がかかることから当初はレストランを中心に提供されていた料理。しかし、20世紀に入るころには工場生産がスタート、1920年代にはポテトピーラーが登場したことで大量生産が可能となり安価なポテトチップスが出回るようになります。油の酸化や水に触れることで著しく風味が劣化してしまう商品のため、ワックスペーパーの袋に入れ密封するなどの工夫もされるようになりました。

しかし、やはり味の劣化はありますし、大量に積み込んで輸送するとポテトチップスは割れてしまう。そこで1956年にプロクター&ギャンブル(P&G)社は化学者のフレドリックJ.バウアーに、こうした苦情に対処できる新しいポテトチップスの開発を依頼します。バウアー博士はポテトと小麦ベースにした生地を両サイドが湾曲し重ねることが出来る形状(双曲線放物面)にすること・容器に管状の缶を使用することを考案します。私達にも馴染みのある、プリングルズのチップスと容器の原型ですね。

ただし、バウアー博士の作ったチップはあまり美味しいものではなかったため一時中断され、1960年代半ばにアレクサンダー・リエラ博士がプロジェクトを再開したことでプリングルスは発売にこぎつけました。1967年に”Pringle’s Newfangled Potato Chips”として一部地域で発売開始、1975年頃にはアメリカ国内のほとんどのエリアで販売されるほどの人気商品になりました。

中身をおいしく作ることはできなかったものの、プリングルズ缶の発明者として名前の残るバウアー博士。途中でプリングルスの開発からは離れておられますが、彼は自分が死んだら火葬にして灰の一部をプリングルズの缶に入れて欲しいと遺言を残しています。実際に2008年に亡くなった時、ご家族はそれを実行したそうですよ。開発者であることに誇りを持っていらっしゃったのかなと思います。

まとめ

今やおやつの大定番として定着しているポテトチップスではありますが、その発祥の所以は完全には分かっていないようですね。ただ、どの逸話にも面白いものがあり、美食の歴史には「偶然」というのは付き物ですね。それよりも、大量生産・商品化するにあたっての努力にはとても感服致しました。普段、何気なく見ていたプリングルスのあの筒にはそんな努力があったのですね。よくよく考えてみれば、あの薄いポテトチップスがしっかりと形を残したまま届くというのもすごいことですよね。

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