12月14日は『麺の日』

本日の一品
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元禄15年の12月14日、四十七人の赤穂藩士達が吉良邸に向かう前にそばを食べたことにちなんで。

由縁はお蕎麦ですが、本日は麺の日です。お蕎麦といえば、個人的には割と縁のある食べ物です。

お仕事で山形、新潟・長野等々、色んな土地を巡りながらご当地のお蕎麦を食べ比べしたのは良い思い出です。

ひと言にお蕎麦と言っても、地域毎の特色があって面白いですよ!

という訳で、今回は日本各地の有名なご当地お蕎麦をまとめたいと思います。

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蕎麦の歴史

蕎麦の歴史は意外と深く縄文時代にまでさかのぼると言われています。

そばの花粉の存在が、高知県の地層から発見されており、これが日本における最古の「蕎麦」だとされています。

もっとも、この蕎麦は日本を原産地としているわけではありません。

その起源は大陸、特に中国にあったと言われています。

現在は、「朝鮮半島から現在の長崎の辺りに伝わり、そこから広まっていったのではないか」と推測されています。

もっとも、この頃の蕎麦については、「文字」として残されているわけではありません。

あくまで花粉の状態から推測されているにすぎないのです。

蕎麦が文献に登場するようになったのは、平安時代になってからです。

平安京に遷都されたのが794年ですが、その3年後に、「属日本書紀」というものが出来上がります。

そのなかで、「米があまり育たないから、代わりに蕎麦などを育てるように」という記述があったと言われています。

ただ、この文章を読んで、不思議に思う人もいるかもしれません。

ここでは蕎麦が、「お米の代わり」というポジションで話されているのです。

このことからも推測できるように、この当時のそばは、今で言う「麺類」のかたちではありませんでした。

蕎麦の実を食用としており、これをそのまま茹でるなどして主食として用いていたわけです。

このような時代はその後も非常に長く続きます。

1600年代、日本の食文化が大きく花開く(この時代にはすでにグルメガイドが登場していました)江戸時代に至るまでの約800年もの間、蕎麦は「麺」というかたちになることがなかったのです。

私たちは今、「蕎麦」と聞くと、当たり前のように「麺」のかたちをとっているものをイメージします。

しかし実のところ、蕎麦の歴史のなかでは、麺類であった時代の方が短かったわけです。

今でも広く使われている手法である「つなぎを使って作る蕎麦(麺)」が朝鮮の僧侶によってもたらされたのを契機とし、蕎麦は現在のような「麺」という形態をとるようになりました。

これは非常に画期的な変化だったと言えるでしょう。

一度「麺」というかたちになると、それは広く受け入れられるようになりました。

江戸時代は中食(屋台などで物を買って帰り、家で食べる形式。

今で言うテイクアウトや惣菜)も発展していましたし、外食という形式も広く利用されていました。

一部のお金持ちを除き、多くの人が額に汗をして、必死に働いていた時代。短い時間で茹であげることができ、すぐに食べることのできる「麺類としてのそば」は、労働階級を含め、多くの人に愛されるようになりました。

1700年代からは屋台もたくさん立つようになります。

コンビニエンスストアがなかった時代にあって、夜の21時ごろから店を開け始める「夜鷹そば」は、小説やドラマなどの舞台にもよく登場します。

ちなみに現在では、「コシがあって、ハリがあるそば」が「うまいそば」とされていますが、かつては柔らかい口当たりのそばも多くの人が好んで食べていたそうです。

特に1800年の初頭はこのようなかたちのそばがはやったのだとか。

このように見ていくと、私たちが当たり前に見ている「そば」というものは、実はさまざまな変化を経ているのだということが分かります。

各地で様々な進化を遂げた蕎麦

僕が仕事で赴いた地、山形・新潟・長野だけでも蕎麦は各地で色々な変化を遂げています。

次にその種類を見ていきましょう。

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