毎月3~5日は『みたらしだんごの日』|魅惑のあましょっぱさ。みたらし団子の歴史に注目【食の雑学】【食の記念日】

本日の一品
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みたらしだんごを手軽なおやつとしてもっと食べてもらうのが目的。

日付は『み(3)たらし(4)だんご(5)』の語呂合わせから。

ちょっと無理やりな気もするこの記念日。でも、和菓子系のおやつの大定番で外せない存在ですよね。

当ブログでもよく紹介している洋菓子ももちろん美味しいですが、みたらし団子の優しいあましょっぱさも無性に恋しくなります。

そして、個人的にはコスパの良いおやつの一つという印象も。スーパーでもコンビニでも100円ほどのお値段でアノ味とボリューム。ありがたいですよね。

というわけで、本日はみたらし団子に焦点を当て記事をお届けします。

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みたらし団子の歴史

まずは、みたらし団子の歴史に迫ってみたいと思います。

お団子の歴史という観点でいえば、皆さんも時代劇などで茶屋が登場するイメージが多いのではないでしょうか。

でも、そういう茶屋のお団子って三色団子のパターンが多くないですか?

それも当然。醤油が日本で大きく普及したのは江戸文化あってのもの。そして、歴史的に砂糖というのは比較的高価なものです。

ここでは、みたらし団子の歴史を追うにあたり、お団子そのものの歴史も掘り下げてみたいと思います。

だんごの歴史

日本人が団子を食べ始めたのは縄文時代からではないかと推測されています。
当時身近にあったクヌギやナラの実(どんぐり)はアクが強いため、食べるためにいったん粉にして水にさらしました。
そのアクが取れた粉状のものを土器などで糊状の粥や団子にして食べました。おそらく団子状にしたものは食感が良く美味しかったのでしょう。
穀物を食べるようになってからも団子を食べる食習慣は捨てなかったようです。

想像以上に深い日本人とお団子の歴史!意外なことにルーツはお米を使わなかったようです。

でも、少しでも食べやすくしたい・美味しくしたいという気持ちは昔から変わらないということですね。

室町時代にはすでに串ざしの団子があったようで、1600年代には団子は串に5つさすのが普通でした。
団子が一般的になったのは江戸時代が安定期になった1700年代で、その頃に「花より団子」という言葉も出来ました。
花見には今でも酒と弁当などは欠かせないと思いますが、それよりも団子が主役になるほど当時流行したようです。
同じ頃、1つ1銭で1串に団子の玉が5つで売られていたものが、1760年代に4当銭の貨幣が発行され、1串に4つさすことになったと記録にあります。

日本の文化を語る上で外すことのできない江戸文化!

お団子も漏れなくその時代からの影響があります。今でも地域柄がありますが、お団子の数は4or5個が主流ですよね。

「みたらしだんご」について

みたらし団子は京都市の下鴨神社(加茂御祖神社)の葵祭りや御手洗(みたらし)祭のときに、神前のお供え物として氏子の家庭などで作られたのが始まりです。
言い伝えによると、後醍醐天皇(1318-1339鎌倉末期)が境内にある御手洗池で水をすくったところ、最初に泡がひとつ浮き、やや間を置いて4つの泡が浮き上がったところから、その泡を団子に見立てて作ったという話があります。
もうひとつ別の話では、みたらし団子は人間の頭と手足をかたどったもので、これを神前に備えてお祈りをし、それを家に持ち帰って醤油をつけて火にあぶって食べ、厄除けにしたとも言われています。

もともとは小さい団子を竹串の先にひとつ、少し間を置いて4つ続けて刺した串が扇形に10本並び、団子が50個ついていたそうです。
現在の形になったのは大正の頃で、この頃に生醤油の付け焼きだけだったものを、加茂みたらし茶屋のご主人が醤油と黒砂糖を使ったたれを考え出し、子供からお年寄りまで喜ばれました。
今では京都を始め関西でみたらし団子と言えば、甘いものというのが常識です。
また、みたらし団子は温かいお菓子ですが、葵祭(5月)や御手洗祭(7月)の時に食べてきたことから、本来夏のお菓子という事がわかります。

岐阜県の高山市でもみたらし団子があります。起源は諸説あるようですが、京都の下鴨神社の団子が伝わったという事のようです。高山のみたらし団子は生醤油のみで焼くため、甘くない団子です。
これは伝わった時期が大正時代以前だったのか、または、この地方では甘い団子が好まれなかったからと思われます。

ルーツとなったものは、神事に使うものということもあって、実用性よりご利益重視。ちょっと食べにくそうですね。

そして、現在の甘いイメージの強いみたらし団子。時代劇では見かけないと思いましたが、それもそのはず、こちらは比較的最近生まれた味でした。

現在、西日本では甘いものが主流ですが、言われてみれば東日本・特に浅草あたりでは未だに生醤油のお団子も見かける気がしますね。

「1串に4玉のみたらしだんごの謎」

現在は京都でも、スーパーやコンビニでもみたらし団子は売られています。
しかも、それらのみたらし団子は1串に4つさしてあるものが多くなってきています。そして、一つ一つの団子が大きいのです。
これは団子の製造が機械化されているために起こっていると思います。
関東ではみたらし団子に限らず、団子は1串に4つさしてあるのがほとんどです。
機械メーカーでは当然マーケットの大きい関東向けの1串に4つの団子が作れる機械を標準で作られます。
1串に5つの小さい団子を作れる機械は特注となり値段が高くなるので、結局は1串に4つの大きい団子が付いたみたらし団子がスーパーやコンビニなどに並ぶことになると思います。
昔ながらの京都の和菓子屋では、今も5個玉で小さな玉のみたらし団子が売られています。
*大きい団子とは500円玉くらいの大きさ、小さい団子とは100円玉くらいの大きさ

東日本出身の筆者としては、やっぱり4個のイメージが強いです。でも、世代的なものもあって3個のお団子なイメージも同様に強いです(世代がばれそうですね笑

まとめ

というわけで、想像以上にその歴史が深いようでそうでもない?みたらし団子の特集でした。

お団子の歴史という観点で見ると、日本人の食歴史に深くかかわるものですが、甘いみたらし団子という観点で見るとそうでもなかったり。これは、砂糖自体が高級品であったことを考えると納得ですね。

それよりも今回意外だったのは、お団子の数にも東西差があるということ。東と西で大きく文化が異なる日本ですが、こんなところにも違いがあったのですね。

機械化・効率化の弊害で一方の文化が消えてしまうのは仕方のないことと思いつつも、少し寂しく感じたり。少し小粒でも数が多いとちょっと得した気分になりそうですね♪

でも、今回どうしてもわからなかったことが一つ…

だんご三兄弟!なんでお前らは三個なん?

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